タロット

マルセイユ版タロットの歴史と特徴

更新: 宵月 紗耶
タロット

マルセイユ版タロットの歴史と特徴

- "タロット" - "マルセイユ版" - "歴史" - "図像学" - "ウェイト版" article_type: history geo_scope: global specs: product_1: name: "ヴィスコンティ=スフォルツァ版" key_features: "現存最古級のタロットだが、

マルセイユ版タロットは一つの完成済みデッキの名前ではなく、16世紀から18世紀に広く流通した図像パターンの総称です。
この記事は、タロットの歴史を図像から確かめたい人に向けて、15世紀北イタリアの「最古のタロット」と、17世紀フランスで形を整えた「最古級のマルセイユ版」をきちんと切り分けて整理します。
本文中ではFrançois Chossonを十八世紀のマルセイユ系版の一例として扱います。
とくに混同されやすいのは、1440年代〜1450年代のヴィスコンティ=スフォルツァ系と、1650年頃のジャン・ノブレ版以降に見えてくるマルセイユ系の輪郭です。
図像を年代順に並べ替えると、ノブレからドダル、そしてコンヴェルへと線の癖や配色が少しずつ収斂していく過程が目で追えるので、「マルセイユ版とは何か」が定義ではなく視覚として腑に落ちます。

代表的な版の年表と特徴を押さえれば、8番が「正義」、11番が「力」であることや、小アルカナが場面絵ではなくピップカードであることも、単なる違いではなく歴史の結果として見えてきます。
あわせてウェイト=スミス版との相違まで一望すると、近代の占い用デッキをそのまま起源に重ねる見方が、どこでずれているのかもはっきりします。

マルセイユ版タロットとは何か

マルセイユ版タロットは、ひとつの完成品として固定されたデッキ名ではありません。
16世紀から18世紀にかけて、フランス、スイス、北イタリアで広まった伝統的な図像パターンの総称です。
ジャン・ノブレやニコラ・コンヴェルのように、現存する個別の版にはそれぞれ固有の線の癖や文字表記の違いがありますが、それらを貫いて見えてくる共通の骨格を指して「マルセイユ版」と呼んでいます。
ここを単一銘柄だと思ってしまうと、歴史の見取り図が一気に曇ります。

基本構成は、現在タロットとして知られる標準形と同じく78枚で、大アルカナ22枚、小アルカナ56枚です。
ただし、図像の読み心地はウェイト=スミス版とは大きく異なります。
よく知られる違いが大アルカナの配列で、マルセイユ版では8番が「正義」、11番が「力」です。
さらに小アルカナは、場面を描いた挿絵札ではなく、杖・杯・剣・貨幣のスート記号を反復配置したピップカードが中心になります。
この形式は、一見すると情報量が少ないようでいて、数・配置・対称性から意味を立ち上げる余地を残しています。

この図像の印象を決定づけているのが、制作技法に由来する視覚的な特徴です。
伝統的な版では、木版で輪郭線を刷り、その上からステンシルで手彩色を施す工程が取られました。
そのため、人物や建物は太いアウトラインで区切られ、色は赤・青・黄を軸にした原色中心の配色になります。
近代の均質な印刷物に見慣れた目で見ると、線の太さの揺れ、色のはみ出し、刷り位置の微妙なずれが先に目に入るはずです。
しかし、その不均一さこそが、マルセイユ版の図像を生きたものにしています。

実物復刻のコンヴェル系を観察すると、その感覚がよくわかります。
輪郭からわずかに外れた色面や、顔料の乗り方の濃淡を追っていくと、これは工業製品というより量産された手工業品なのだと腑に落ちます。
そこには「正確な一枚絵」として閉じない余白があり、顔の表情も身ぶりも少しずつ曖昧さを含みます。
その“ゆらぎ”があるからこそ、図像を占的に読むときに意味が一方向へ固まりません。
象徴の解釈に幅が生まれる土台は、思想体系だけでなく、こうした制作上の物質性にも支えられているわけです。

名称についても、ひとつ押さえておきたい点があります。
Tarot de Marseilleという呼び名自体は、カードが作られていた当初からの正式名称ではありません。
この名称が広く流通するのは19世紀以降で、後から定着した総称です。
つまり、17世紀や18世紀の職人たちが、自分たちの仕事を最初から「マルセイユ版」というブランド名で理解していたわけではありません。
この呼称の後付け性を知っておくと、歴史上のデッキを現代の分類名で整然と並べすぎない視点が持てます。
参照: Encyclopedia Britannica; Wikipedia「Tarot de Marseille」。

ℹ️ Note

「マルセイユ版」とは、ひとつの原典デッキを指す名前ではなく、複数の版木・複数の職人・複数の都市をまたいで共有された図像の系譜名です。図像の差異を含んだまま成立しているところに、この系統の面白さがあります。

最古のタロットと最古のマルセイユ版は同じではない

フランス最古の現存例

ここでまず切り分けたいのは、タロットとして最古とフランスで現存する最古と現在のマルセイユ図像に近い最古級が、それぞれ別の話だという点です。
現存最古級のタロットとして挙がるのは、1440年代〜1450年代の北イタリアのヴィスコンティ=スフォルツァ系です。
これは十五世紀半ばの宮廷文化の中で作られた豪奢な札で、後のマルセイユ系の遠い源流としては見られても、そのまま最古のマルセイユ版とは呼べません。
参照: Encyclopedia Britannica、Wikipedia「Tarot de Marseille」。

フランス最古の現存例として名前が出るのは、1557年のCatelin Geofroy版です。
ただし、ここでも短絡は禁物です。
Geofroy版は「フランスにおける古いタロット」の基準点ではあっても、後世に典型化するマルセイユ版図像とそのまま重なるわけではありません。
つまり、1557年という年号だけを見て「これが最古のマルセイユ版」とまとめてしまうと、図像の系譜を見失います。

この混同が起こるのは、現代の分類名を過去にそのままかぶせてしまうからです。
十五世紀の北イタリアで作られたヴィスコンティ=スフォルツァ系、十六世紀フランスのCatelin Geofroy版、十七世紀半ばのJean Noblet版は、連続した歴史の中にありますが、同じ位置にある札ではありません。
年代だけでなく、地域、用途、制作技法、図像の定着度を一緒に見ないと、最古をめぐる議論はすぐにねじれます。

ヴィスコンティ=スフォルツァ系の実物図版や復元画像に触れると、この違いは視覚的にもはっきりします。
金地や手彩色をともなう貴族向けの札の気配と、後代の木版による量産札のざらついた輪郭線とでは、同じタロット史の中にありながら、置かれていた社会階層も用途も違って見えます。
豪奢な宮廷用デッキから、町で流通する手工業的なカードへという質感の落差を並べると、「源流ではあるが同一物ではない」という説明が、抽象論ではなく手触りを持って伝わってきます。

現在のマルセイユ図像に近い最古級

現在「マルセイユ版」と聞いて多くの人が思い浮かべる図像に近い最古級として位置づけられるのは、1650年頃のJean Noblet版です。
ここが、歴史を整理するうえでのいちばん大切な折り目になります。
最古のタロットそのものは十五世紀にさかのぼりますが、現代のマルセイユ版の輪郭に近いかたちが見えてくるのは、十七世紀半ばの段階です。

Noblet版が基準点として扱われるのは、後のJean DodalやNicolas Converへ連なるマルセイユ系の骨格が、すでに明瞭だからです。
人物配置、札名の扱い、木版由来の線の運び、そして大アルカナの配列など、後代に受け継がれる要素が読み取りやすい。
十三番札にLAMORTと記される例がある点も、後の無銘十三番と見比べると版ごとの差異が見えてきて興味深いところです。

このため、読者が「最古のマルセイユ版は何か」と問うとき、実際には二つの質問が混ざっていることになります。
ひとつは「マルセイユ系統に属すると言える現存最古は何か」で、もうひとつは「今見慣れているマルセイユ図像に最も近い最古級は何か」です。
後者への答えとしては、Jean Noblet版を置くのが最も整理しやすい構図です。

あわせて押さえておきたいのは、こうした札が当初から占いのために作られていたわけではないことです。
近世までのタロットは、主としてトリックテイキング系のゲームに使われたカードでした。
占いへの転用を確実な記録で追えるのは十八世紀以降です。
十九世紀になるとエリファス・レヴィ以後の神秘学的再解釈が重なり、カードは思想的な厚みをまとっていきますが、その層を十七世紀の起源へそのまま折り返すと、史実の順序が崩れます。

補足情報

近年の補足として触れておきたいのが、1639年作とされるPhilippe Vachierのマルセイユ系デッキの再発見です。
現存する“マルセイユ系”の例としては、Jean Noblet版より古い可能性を示す話題として注目されます。
ただし、ここでも整理の仕方が肝心です。
現在の図像に近い最古級としてJean Nobletを置くことと、より古い現存マルセイユ系の可能性としてVachierに言及することは、両立します。
論点が違うからです。

この区別をつけておくと、「最古」という言葉が一つの答えしか持たないように見える錯覚から抜け出せます。
最古のタロットはヴィスコンティ=スフォルツァ系、フランス最古の現存例はCatelin Geofroy版、現在のマルセイユ図像に近い最古級はJean Noblet版、さらに現存マルセイユ系としてはPhilippe Vachierがそれより古い可能性を持つ。
この四つを分けて並べるだけで、歴史の見取り図は一気に澄みます。

ℹ️ Note

「最古」をめぐる混乱は、対象を一つに固定してしまうことから生まれます。タロット全体の最古、フランスでの最古、マルセイユ系の最古、現在の図像に近い最古級は、それぞれ別の基準で数えられています。

この視点を持つと、マルセイユ版は突然どこかで発明された一組のカードではなく、十五世紀北イタリアのタロット文化を遠い起点にしながら、十七世紀以降のフランスで図像の骨格を整え、十八世紀に標準形へ収斂していった系譜として見えてきます。
読者が混乱しやすいのは当然ですが、版名と年代を丁寧に置き直すと、むしろ歴史の流れそのものがこの系統の面白さになります。

マルセイユ版はどのように成立したか

北イタリア起源とフランスへの伝播

マルセイユ版の成立を理解するには、出発点をまず北イタリアに置く必要があります。
タロットそのものの源流は、十五世紀のミラノ周辺で作られたヴィスコンティ=スフォルツァ系に代表される宮廷的なカード文化にあります。
そこから後のフランス系タロットへ一本の直線でつながるわけではありませんが、図像の骨格とカード編成の発想は、北イタリアの都市文化の中で育ったと見るのが最も自然です。

フランス側でタロット関連語が早くから現れている点も、この移動の早さを示しています。
文献上の初出は1482年にさかのぼり、1534年にはラブレー作品の中に「tarau」という語形が現れます。
つまり、十六世紀前半の段階でフランス語圏ではすでにカードの存在や呼称が知られていたわけです。
ただし、この時点で後世の「マルセイユ版」が完成していたのではありません。
ここで見えてくるのは、名称と遊戯文化が先に広まり、図像の定型化は後から進んだという時間差です。

南フランスへの本格的な伝播を考えるうえでは、1499年以後の伊仏関係がひとつの節目になります。
イタリア戦争の開始以後、人の往来は宮廷外交だけでなく、兵站、商取引、印刷物、工芸品の流通を通じて密になりました。
カードのような携帯しやすい遊戯具は、この種の回路に乗りやすい道具です。
とくに北イタリアと南フランスは港湾都市と内陸交易路の双方でつながっていたため、図像や遊び方が断片的に持ち込まれ、それが各地の職人の手で作り替えられていったと考えると、後の展開がよく見えてきます。

年代と都市を地図上に置いていくと、この流れは抽象的な「影響関係」よりも、もっと具体的な移動の軌跡として立ち上がります。
パリ、リヨン、ディジョン、マルセイユを時系列でプロットしていくと、東から西へ、あるいはイタリア側からフランス内陸と地中海沿岸へ向かう図像の回廊がうっすら見えてきます。
札そのものが一度に全国へ広がったというより、都市ごとの工房が似た型を受け取り、少しずつ変えながら受け渡していった。
その連鎖として眺めると、マルセイユ版は孤立した地方様式ではなく、広域流通の結節点で生まれた図像系統だとわかります。

マルセイユの製造拠点化

その結節点として際立つのが、十七世紀から十八世紀にかけてのマルセイユです。
地中海交易の港町であったこの都市は、外から来た図像を受け取るだけでなく、それを再生産し、周辺へ送り出す拠点になりました。
旧市街のパニエ地区では、十七世紀末までに9人のカード職人が活動していたことが知られています。
これは、単発の工房ではなく、町の産業としてカード製造が根づいていたことを示す数字です。

生産の現場では、木版印刷と手彩色という方法が中核でした。
この工程は、貴族向けの一点物とは異なり、同じ図像を何度も刷って広い市場へ流通させるのに向いています。
輪郭線が木版で安定し、色は職人の手で加えられるため、版ごとの個性を保ちながらも図像の骨格は共有される。
この仕組みがあったからこそ、十七世紀から十八世紀にかけて、フランスだけでなくスイスや北イタリアにも近縁の図像が広がりました。
マルセイユ版は一都市の閉じた様式ではなく、フランス・スイス・北イタリアにまたがる印刷文化圏の標準語のような役割を果たしたのです。

ここで注目したいのは、現代の読者が「マルセイユ版」と聞いて連想する代表像が、必ずしもマルセイユ市内だけで完結していないことです。
たとえばJean Nobletはパリ、Jean Dodalはリヨン、Pierre MadeniéやNicolas Converはマルセイユに結びつきます。
都市は違っても、札名の書き方、人物の配置、ピップ中心の小アルカナといった共通点によって、ひとつの大きな図像ファミリーが形づくられていきました。
マルセイユが製造拠点として際立つのは、そのファミリーのなかで量産と流通の中心になったからです。

十七世紀半ばのJean Noblet版から十八世紀のNicolas Conver版へ視線を移すと、図像が散漫に増殖したのではなく、むしろ一定の型へ収斂していく動きが読み取れます。
前述の通り、現在よく参照されるマルセイユ図像に近い最古級はNobletですが、十八世紀になるとConverのような版が後世の標準参照として機能するようになります。
標準化は一度の発明ではなく、工房どうしの反復制作と市場流通の積み重ねで生まれました。
マルセイユは、その反復がもっとも濃く観察できる場所です。

名称「Tarot de Marseille」の成立史

興味深いのは、図像系統としての成立と、「マルセイユ版」という名称の成立が同時ではないことです。
十七世紀や十八世紀の職人たちが、自分たちの札を最初からTarot de Marseilleという完成したブランド名で呼んでいたわけではありません。
この呼称が広く使われるようになるのは十九世紀に入ってからで、図像の歴史にあとから貼られた整理ラベルとして理解したほうが正確です。

この名称の普及には、Romain Merlinの用例がひとつの節目となり、その後エリファス・レヴィ、パピュス、さらに二十世紀のポール・マルトーが定着を後押ししました。
ここで起きているのは単なる命名ではありません。
十八世紀まで主にゲーム用カードとして流通していた図像群が、十九世紀以降の神秘学的関心の中で再読され、「古いフランスのタロット図像」としてまとめ直されていく過程です。
名称はその再編集の産物でもあります。

このため、「マルセイユ版はマルセイユで発明され、その名で流通していた」と考えると、歴史の順序が逆転します。
実際には、北イタリア起源のタロット文化が1499年以後の往来を通じて南フランスへ入り、十七世紀から十八世紀にかけてフランス・スイス・北イタリアに広がる図像圏が形成され、そのなかでマルセイユが有力な製造拠点となり、さらに十九世紀になってから総称としてのTarot de Marseilleが固まっていきました。
名称は起源ではなく、歴史を見渡したあとに与えられた分類名です。

この順序で眺めると、マルセイユ版の成立史は一枚のカードから始まる物語ではなく、都市間移動、工房の量産、図像の反復、そして後代の命名が折り重なった過程として見えてきます。
図像の回廊が先にあり、名前はその回廊をあとから呼び分けるために生まれた。
そこに、この系統の歴史のいちばん面白いところがあります。

代表的な版で見るマルセイユ版の系譜

代表的な例として、1557年のCatelin Geofroy版と、十七世紀に位置づけられるPhilippe Vachier版が挙げられます。

同じ札を版ごとに見比べると、この流れは年号だけではなく、絵の呼吸として感じ取れます。
たとえば恋人や太陽を並べると、人物の人数、顔の向き、指先の角度、誰が誰を見ているのかといった細部が少しずつ違います。
構図は似ていても、ある版では選択の場面に見え、別の版では祝福や監視の場面に見える。
その揺れに触れると、マルセイユ版は固定された一枚絵の集合ではなく、工房ごとの解釈が薄く重なった図像系統なのだと実感できます。

Jean Noblet(1650頃, Paris)— 最古級の“現行図像”

Jean Nobletは、現在「マルセイユ版」と呼ばれる図像に近い姿を伝える最古級の版として位置づけられます。
制作地はパリ、年代は1650年頃です。
ここで見えてくるのは、十五世紀イタリアの豪華な初期タロットとは別系統の、木版印刷と手彩色に適した簡潔で強い線です。
後世の版に受け継がれる大アルカナの配置感覚や、人物像の骨格がすでに整っています。

図像面では、まだ揺らぎが残っているところが魅力でもあります。
13番札にLAMORTと記される例があるように、札名表記にも後代との違いがあり、標準化の手前にある生々しさを感じさせます。
恋人では人物どうしの距離感が近く、太陽では視線の交差がどこか緊張を帯びて見えることがあり、後代の版よりも場面の意味が一義的に定まりません。
この「まだ定まり切らない感じ」が、その後のマルセイユ系図像を読むうえでむしろ手がかりになります。
後世への影響という点では、Nobletは完成版というより原型の露出が濃い版です。
研究では、後代に整理されるマルセイユ図像の基本形を確認するための出発点として参照されることが多く、現代の復元的な読解でもしばしば基準になります。

Jean Dodal(1701頃, Lyon)— 初期マルセイユの要所

Jean Dodalは1701年頃、リヨンで制作された初期マルセイユ系の代表版です。
パリのNobletから半世紀ほど下った位置にあり、図像が地方ごとにばらばらに拡散したのではなく、都市間で共有されながら調整されていったことを示す節目です。
リヨンという内陸の商業都市にこの版が現れることで、マルセイユ図像は港町だけの産物ではなく、流通網のなかで育ったことがさらに明瞭になります。

Dodalの特徴は、初期らしい荒々しさを残しつつ、後の標準形へつながる整理が進んでいるところです。
線の取り方や人物の輪郭にはまだ工房的な癖がありますが、主要なモチーフは後代の参照に耐えるかたちで並びます。
恋人をNobletと比べると、人物のあいだの緊張関係の見え方が少し変わり、選択・誘惑・媒介という主題の比重がずれる印象があります。
こうした差異は、単なる絵柄の好みではなく、同一主題がどのように視覚化されうるかという問題に直結します。

後世への影響は、初期マルセイユ図像の比較軸を与えた点にあります。
NobletとDodalを並べると、後代の版で当たり前に見える要素が、どの段階で定着したのかが追えます。
そのためDodalは、系譜の途中にある一版でありながら、図像変化の節目を読むうえで欠かせない存在です。

Pierre Madenié(1709, Dijon)— 伝播と洗練

Pierre Madeniéは1709年、ディジョンで制作されました。
地理的にはリヨンとマルセイユのあいだをつなぐような位置にあり、図像の伝播がフランス内陸に広がっていたことをよく示しています。
Madeniéを見ると、初期版の揺らぎが少し収まり、画面の整理が進んでいることがわかります。
人物の配置や装飾のバランスが整い、後代の復刻で参照されやすい「見慣れたマルセイユ感」が強まります。

この版の面白さは、標準化への前進と地方工房の個性が同時に見えるところです。
太陽を他版と見比べると、子どもたちの関係性や身体の向きから受ける印象が少し変わります。
並んでいるのか、寄り添っているのか、互いを支えているのか。
そのニュアンスの差が、後代の解釈で「無垢」「協働」「再生」といった読みを分岐させる余地を残しています。
図像が洗練されるほど意味が固定されるとは限らず、むしろ整理された線のなかに複数の読みがきれいに収まることもあります。

後世への影響という意味では、Madeniéは初期マルセイユから標準形への橋渡しです。
Dodalほどの荒削りさは薄れ、Converほどの決定版感には至らない。
その中間にあるからこそ、何が残り、何が整理されたのかがよく見えます。

François Chosson(18世紀, Marseille)— 標準図像形成への寄与

François Chossonは十八世紀のマルセイユに位置づけられる版で、都市としてのマルセイユが図像の標準化を押し進めたことを示す好例です。
前のセクションで触れた製造拠点としての条件が、ここでは具体的な版のかたちで現れます。
パリ、リヨン、ディジョンで受け継がれてきた骨格が、マルセイユの工房文化のなかでより再生産されやすい形に整えられていったわけです。

Chossonの意義は、単独で突出した発明を示すことよりも、反復可能な図像を安定させた点にあります。
人物のポーズ、衣装の折れ線、背景の処理などが一定の型に収まり、同系統の版どうしで比較したときの「家族 resemblance」が強くなります。
恋人のように多人数が登場する札では、誰が場面の中心なのかが前代より整理され、視線誘導も明快になります。
とはいえ、その整理は意味の単純化とは一致しません。
視線が少しずれるだけで、祝福にも審判にも見える余地が残るところに、マルセイユ図像の面白さがあります。

後世への影響は、マルセイユを名実ともに中心地へ押し上げたことにあります。
複数の工房が近縁の図像を生産し続けることで、地域名が後世の総称になるだけの厚みが生まれました。
Chossonは、その厚みを支える中核のひとつです。

Nicolas Conver(1760, Marseille)— 後世の標準参照版

Nicolas Converは1760年、マルセイユで制作された版で、後世における標準参照版としてもっとも名前が挙がる存在です。
年代だけ見ればNobletより新しく、系譜の出発点ではありません。
それでもConverが標準として扱われるのは、図像が成熟した段階の代表形であり、流通量と再生産の蓄積によって参照可能性が高まったからです。
十八世紀のマルセイユという製造拠点で成立したことも、その位置を強めています。

Converは各札の構図がよく整い、後代の読者が「これがマルセイユ版だ」と認識しやすい輪郭を備えています。
研究でも復刻でも基準に据えられやすく、現代の占い実践で使われるマルセイユ系デッキの多くが、直接的または間接的にこの版を参照しています。
Converは最古だから標準なのではなく、流通し、残り、複製され、比較の土台として使われ続けたから標準になったのです。

NobletとConverを並べると、その違いは単なる古さ新しさではありません。
Nobletには原型のざらつきがあり、Converには共有規範としての安定があります。
たとえば同じ太陽でも、人物の関係性の見え方、顔の向き、ジェスチャーの収まり方が整えられ、場面全体の読解が一定方向へ集まりやすくなっています。
この「揺れを残しつつも参照軸を与える」完成度こそが、Converを後世の標準参照版に押し上げた理由です。
現代の研究が版差を語るときも、復刻デッキが古典形を名乗るときも、多くの場合この版が座標軸になっています。

マルセイユ版の図像的特徴

マルセイユ版をひと目でそれと感じさせるのは、まず画面全体の版画的な手触りです。
木版画調の太い輪郭線が人物や道具をくっきり切り出し、赤・青・黄を軸にした原色中心の手彩色が、場面を平面的で強い印象へとまとめます。
そこでは、版木の線がわずかに震えていたり、色が輪郭から少しはみ出していたり、刷りの位置がぴたりとは重ならずに版ズレが見えたりします。
しかし、その不揃いさは欠点ではありません。
むしろ工房の手仕事がそのまま表面に残っているため、同じ系統の札でもNobletとConverでは気配が違って見えます。
均整のとれた近代印刷物では消えてしまう揺れが、ここでは図像の個性そのものになっています。

大アルカナでは、後世の読者がウェイト=スミス版に慣れているほど、配列と名称の差に目を引かれます。
マルセイユ版では8番が正義、11番が力です。
この入れ替わりは単なる番号の違いではなく、近代神秘学的な対応関係より前の図像伝統を見ているのだ、という感覚を与えます。
名称表記そのものにも揺れがあり、13番札は無銘のまま置かれることが多い一方、Jean Nobletでは「LAMORT」と明記されます。
ここは図像学的に興味深い点で、同じ札でも「名づけないこと」による余白と、「死」と記すことによる直截さが版ごとに異なるからです。
無銘の13番は、刈り取り・変容・循環といった広い連想を保ちますが、「LAMORT」と記された瞬間、読者の視線は言葉に引かれ、場面の読解が一段と鋭く定まります。

人物表現にも、マルセイユ版らしい約束事があります。
多くの人物は正面性を強く帯び、身体のひねりよりも象徴としての見えやすさが優先されます。
王冠、笏、剣、天秤、杖といった小道具は、心理描写の補助ではなく、人物の役割を即座に示す記号として置かれます。
衣文の折れ線も印象的で、布が自然に垂れるというより、線のリズムとして強調されています。
このため、人物は写実的な個人というより、役割を担う存在として立ち上がります。
同じ恋人や太陽でも、顔の向き、手の上げ方、視線の交差のしかたが版ごとに少しずれるだけで、祝福・選択・緊張・協働のどこに重心を置くかが変わってきます。
マルセイユ版の読解は、この微差を拾うところから深まります。

小アルカナになると、その特徴はさらに明瞭です。
ウェイト=スミス版のような場面絵は基本的に現れず、数札はピップ、つまり杯・剣・貨幣・杖という記号の反復と配置で構成されます。
情報が少ないように見えて、実際には読むべき要素が別の場所に移っているのです。
枚数、左右対称か非対称か、中央を貫く軸があるか、モチーフ同士が接続しているか切れているか、といった“視覚パターン”がそのまま解釈の手がかりになります。
とくにカップの数札では、器そのものより、間をつなぐ線や植物文様の伸び方に注目すると、静止していた図柄から流れが立ち上がります。
たとえばカップの2では、向かい合う二つの杯のあいだに緊張と均衡が生まれますが、カップの6になると、線の絡みと花弁の向きが中央から外へ、あるいは上下へと呼吸するように広がり、単なる「六つの杯」ではなく、満ちたものが循環していく感覚が見えてきます。
数を数える段階から、配置を追う段階へ移った瞬間に、札が急に語り始めるのです。

このピップ中心の構成は、読解法にも独特の方向を与えました。
場面が細かく描かれていないぶん、読み手は既成の物語に乗るのではなく、構造・数・方向性を軸に意味を組み立てます。
近年オープン・リーディングと呼ばれる方法が注目されるのも、この性格とよく響き合っています。
図像が意味を一方的に指定しないため、札の並び、反復、視線、対称性、欠落のような要素が前景化するわけです。
マルセイユ版の情報量は控えめに見えて、実際には「何を見るべきか」が近代デッキとは違います。
木版線の太さ、原色の切り分け、人物の正面性、大アルカナの名称差、13番の無銘とラ・モール表記の揺れ、小アルカナのピップ配置――そうした特徴を歴史的な産物として捉えると、古風な図柄はたんなる素朴さではなく、読む技法そのものを形づくった装置として見えてきます。

ウェイト版との違いは何か

番号配列(8=正義/11=力)の相違

比較でまず挙がるのが、大アルカナの番号配列です。
マルセイユ版では8番が正義、11番が力ですが、ウェイト=スミス版ではこれが入れ替わり、8番が力、11番が正義になります。
現代の入門書やアプリはウェイト=スミス版を前提に組まれていることが多いため、この一点だけでも読者の頭の中の地図がずれます。

この差は、単なる並べ替えとして片づけると見落としが出ます。
マルセイユ版の配列は、歴史的な図像伝統の並びを保っています。
他方、ウェイト=スミス版の番号調整には、19〜20世紀の神秘学、とくにゴールデン・ドーン系の対応関係を整える意図が関わっています。
同じ22枚の大アルカナを見ていても、背後で参照している体系が違うのです。
マルセイユ版は歴史的ゲーム用カードの延長線上にある札組であり、ウェイト=スミス版は占い実践と神秘学的対応を強く意識して再設計された札組だ、と捉えるとこの差が腑に落ちます。

番号に敏感な読者ほど、この違いからデッキ全体の思想の差を読み取れます。
力を8番に置くか、11番に置くかは、カード単体の意味だけではなく、連番の流れの中で何を接続するかという問題でもあるからです。
マルセイユ版を読むときは、近代オカルティズム以後の整理表をいったん脇に置き、歴史的配列そのものをひとつの前提として受け取るほうが、札の顔つきが自然に見えてきます。

小アルカナ:ピップ vs 場面絵

両者の違いがもっとも体感的に表れるのは、小アルカナです。
マルセイユ版の数札は、杯・剣・貨幣・杖の反復配置を中心とするピップカードで構成されます。
対してウェイト=スミス版は、小アルカナの全札が場面絵化され、人物や状況が一目で物語を示すつくりになっています。
学習の導線がここで大きく分かれます。
ウェイト=スミス版は絵から感情や出来事をつかみやすく、マルセイユ版は配置・数・対称性・流れから構造を読む方向へ読者を導きます。

この差は、同じソードの3を並べるとよく見えます。
ウェイト=スミス版では、心臓を貫く三本の剣と雨空の場面が、痛みや喪失の物語をほぼ即座に立ち上げます。
そこでは「何が起きているか」が先に見えるのです。
マルセイユ版のソードの3には、そのような劇的場面はありません。
三本の剣がどう交差し、中央軸をどうつくり、周囲の装飾がどこで広がりを止めているかを追うことになります。
読み手は感情劇を受け取るというより、張力の配置を観察することになる。
前者が物語を読む札なら、後者は構造を読む札だ、という表現が最もしっくりきます。

この違いは、解釈の粒度にもつながります。
ウェイト=スミス版では、絵柄そのものが明確な状況設定を与えるため、初学者でもカードの雰囲気をつかみやすい反面、視線が一つの物語へ集まりやすくなります。
マルセイユ版では、図柄が意味を言い切らないぶん、数の論理、スートの性格、隣接カードとの関係が前景に出ます。
読む側に求められる作業は増えますが、そのぶんカード同士の配置から意味を編む余地が広く残されています。
占い専用デッキとして設計されたウェイト=スミス版と、ゲーム用カードに由来するマルセイユ版の設計思想の差が、ここにそのまま現れています。

象徴体系と構図の分岐

大アルカナの図像を見比べると、構図そのものが別のカードのように感じられる場面があります。
恋人はその典型です。
マルセイユ版では、若者を中心に複数人物が配置され、選択・誘惑・承認といった緊張を含む場面として読まれます。
一方、ウェイト=スミス版の恋人は、アダムとイヴを思わせる男女と天使の構図へ整理され、聖書的・神秘学的な象徴連関が前面に出ています。
同じカード名でも、前者は社会的な関係と選択の場、後者は宇宙的な結合や原初的対としての男女へ重心が移っています。

太陽も比較すると分かりやすい札です。
マルセイユ版では、二人の子どもが並び、相互関係や身体の向きが読む鍵になります。
版によっては、協働、親密さ、鏡像性、あるいは微妙な緊張が画面に残ります。
ウェイト=スミス版では、子どもは一人となり、白馬、赤い旗、ひまわりが加わって、生命力や解放の主題がより明快に整理されています。
マルセイユ版の構図は関係を読ませ、ウェイト=スミス版の構図は象徴を束ねて意味の焦点を作る。
その違いが、同名札の印象を大きく変えます。

こうした分岐の背後にあるのが、19〜20世紀神秘学の導入です。
ウェイト=スミス版は、ゴールデン・ドーンを経由した占星術・カバラ・元素対応の体系を色濃く組み込み、カードを一種の象徴辞典として再編しました。
マルセイユ版にも後代の神秘学的解釈は重ねられましたが、図像そのものはそれ以前の歴史層を残しています。
だからこそ、マルセイユ版では「何を象徴しているか」だけでなく、「なぜこの構図のまま残ったのか」を考える余地が生まれます。
現代読者にとっての比較軸は、どちらが優れているかではなく、どちらのデッキが何を前提に設計されているかを見分けることにあります。
ウェイト=スミス版は解釈体系を内蔵した近代デッキであり、マルセイユ版は歴史的図像の層を抱えたまま読むデッキです。
その違いを押さえると、同じカード名の下にまったく別の思考法が流れていることが見えてきます。

なぜマルセイユ版は近代オカルティズムの中心になったのか

マルセイユ版が近代オカルティズムの中心へ引き寄せられていく転機は、まず18世紀末のフランスで、タロットが占いに用いられていた記録が見えてくるところにあります。
もともとゲーム用カードとして流通していた札組が、そのまま別の読まれ方を獲得したわけです。
ここで起きた変化は、デッキそのものの図像が一気に作り替えられたというより、同じ札に別の問いが向けられるようになったことでした。
遊戯の勝敗や手札の強弱を扱う道具が、個人の運命、性格、将来、隠れた傾向を読む媒体へと役割を広げていく。
この段階では、マルセイユ版はまだ神秘学の完成済み体系というより、転用可能な図像の貯蔵庫だったと捉えるほうが実態に近いです。

この「転用可能な図像の貯蔵庫」を近代オカルティズムの中核へ押し上げたのが、1854年のエリファス・レヴィです。
レヴィはタロットを単なる占い札としてではなく、象徴哲学の圧縮された体系として読み替えました。
大アルカナを、カバラ、ヘルメス思想、象徴主義的連関の網の目に接続したことで、札は「絵柄の意味」から「宇宙論の断片」へと位相を変えます。
ここでマルセイユ版が決定的だったのは、後代の占い専用デッキのように意味が描き込まれすぎていなかったことです。
人物の姿勢、持ち物、番号、対称性、未整理に見える細部が、かえって多様な対応関係を受け止める余白になりました。

レヴィ以前と以後で、同じ札の解説文を読み比べると、この変化は驚くほどはっきり見えます。
放浪者、無分別な者、滑稽な人物といった社会的類型として扱われることが多く、背後から犬に噛まれる姿や、荷物を背負って歩く姿が、そのまま地上的な寓意として読まれます。
ところがレヴィ以後になると、その放浪者は遍歴する魂、未分化な原理、霊的旅の起点へと接続される。
魔術師も同じです。
テーブルの上に置かれた道具は、単なる手品師の小道具ではなく、四元素や意志の操作に結びつく。
女教皇は教会的・道徳的な人物像を超えて秘儀知の保持者となり、吊るされた男は処罰や奇習の図から、反転した視座や入門の試練へ読み替えられる。
読み比べていると、同一の線画なのに、象徴の“接続先”だけが急に増えていく感覚があります。
図像の表面は大きく変わらないのに、背後の参照体系だけが幾重にも立ち上がる。
その増幅こそ、レヴィがもたらした転機でした。

普及と標準化を担ったパピュスとポール・マルトー

レヴィの再解釈を、一部の秘教思想家の思索で終わらせず、広く流通する読解枠へ育てたのがパピュスです。
パピュスはタロットを体系的に学ぶ対象として整え、オカルティズムの教育言語の中へ組み込みました。
その過程で、マルセイユ版は「古いカード」であるだけでなく、「正統な象徴の器」として扱われるようになります。
ここで大きかったのは、図像の古さそれ自体が権威として働いたことです。
新しく設計された札よりも、長く伝わった図像のほうが秘教的真理を宿している、と見る発想が19世紀末の神秘学には強くありました。

20世紀に入ると、ポール・マルトーがこの流れをいっそう定着させます。
マルトーはマルセイユ版の大アルカナだけでなく、小アルカナのピップカードにも意味の秩序を与え、読解の手引きを広く共有可能な形へ整えました。
場面絵のない数札に意味を与える作業は、マルセイユ版の曖昧さを減らすというより、曖昧さを解釈可能な構造へ変換する営みでした。
杖・杯・剣・貨幣の反復配置を、数・方向・開閉・均衡の観点から読む発想は、ここで多くの実践者にとって共通言語になります。

この普及と標準化の軸として参照され続けたのが、1760年のニコラ・コンヴェル版です。
もちろん、マルセイユ版は単一のオリジナルを持つデッキではありません。
それでもコンヴェル版が後代の基準になったのは、18世紀の代表形として図像のまとまりがよく、復刻・研究・実践のいずれでも扱いやすい参照軸だったからです。
ジャン・ノブレやジャン・ドダル、ピエール・マドニエのような重要版が再評価される以前から、コンヴェルの絵柄は「マルセイユ版といえばこれ」という顔を引き受けていました。
近代オカルティズムは抽象理論だけで成立したのではなく、反復して見られる標準図像を必要としました。
その役割をコンヴェル版が担ったのです。

20世紀以降の復興が「歴史的基準」を固めた

20世紀以降に起きたのは、単なる占いとしての存続ではありません。
復刻、図像研究、歴史研究、実践的読解の再編が重なり、マルセイユ版は「古いが曖昧なカード」から「歴史を背負った基準デッキ」へ位置づけ直されました。
復刻版の普及によって、研究者も読者もコンヴェルをはじめとする各版を実際に見比べられるようになり、どこが後代の付加で、どこが古い層なのかを追いやすくなります。
そこから、マルセイユ版はウェイト系以前の図像世界を知る入口であると同時に、近代神秘学が何を付け加えたのかを測る物差しにもなりました。

この復興に伴って、マルセイユ版の読み方も二つの方向へ開いていきます。
ひとつは、レヴィやパピュス以来の象徴対応を用いる読み方です。
もうひとつは、図像そのものの配置、人物の視線、左右差、色面、反復を重視し、歴史的図像から意味を立ち上げる読み方です。
前者は近代オカルティズムの継承であり、後者はそれ以前の層への回帰でもあります。
この二つが対立するというより、同じマルセイユ版の中で共存している点に、この系統の強さがあります。

💡 Tip

マルセイユ版が長く生き残った理由は、意味が固定されていたからではなく、古い図像でありながら新しい解釈を受け止める余白を持っていたからです。ゲーム用カードの顔つきと神秘思想の読解枠が、一組の札の上で重なったことが、この系統を特別なものにしました。

こうして見ると、マルセイユ版が近代オカルティズムの中心になった理由は一つではありません。
18世紀末には占術への転用が始まり、1854年のエリファス・レヴィが象徴哲学の接続点を与え、パピュスとポール・マルトーが普及と標準化を進め、20世紀以降の復興がそれを歴史的基準として定着させたのです。
もともと遊戯のための札だったからこそ、あとから重ねられた神秘学的解釈の層がよく見える。
マルセイユ版は、その重なり方そのものを観察できる、近代オカルティズムの実験場でもあります。

まとめ

押さえるべき芯は一つです。
最古のタロットは15世紀北イタリアの系譜にあり、最古級のマルセイユ版は17世紀フランスで輪郭を結んだ別系統です。
そのうえでNobletからDodalMadeniéChossonを経てConverが参照基準になった流れを置くと、マルセイユ版の歴史的位置づけがぶれません。
ウェイト=スミス版との違いは、番号配列・小アルカナの設計・象徴体系の三つで見ると整理できます。
実際、記事中の年表と比較表から手元のデッキの出自を逆引きしてみると、その札が歴史のどこに立っているのかが実感としてつながります。
そうして骨格をつかむと、古い図像の読みの自由度と、近代以降に重ねられた再解釈の層が、一組のカードの上で立体的に見えてきます。
内部リンク候補: 「タロットの起源(北イタリア)」「ジャン・ノブレ(1650頃)の図像研究」「ニコラ・コンヴェル(1760)とマルセイユ系の標準化」

シェア

宵月 紗耶

西洋思想史・宗教学を専門とする文化研究者。タロットの図像学やカバラの思想体系に造詣が深く、象徴の歴史を読み解きます。

関連記事

タロット

タロットは78枚という枚数だけ知っていても、22枚の大アルカナと56枚の小アルカナがどう役割分担し、なぜその絵がその意味を帯びるのかが見えてこないと、カードの体系は輪郭を結びません。

タロット

祝宴の熱が引いた十五世紀ミラノの宮廷で、金箔のきらめく大判カードが卓上に広がる場面を思い浮かべると、タロットの出発点は占いの神秘ではなく、貴族たちの遊戯と見栄えの文化にあったことが見えてきます。

タロット

タロット78枚のうち22枚を占める大アルカナは、もともと十五世紀イタリアで生まれたゲーム用の切り札群であり、「秘儀の書」として読まれるようになったのは十八世紀以降のことです。この記事は、大アルカナを神秘主義の物語としてだけでなく、図像と歴史の層を見分けながら理解したい読者に向けて、その変化の地図を描きます。

タロット

タロットの小アルカナは、56枚もあるせいで「暗記科目」に見えますが、実際には 4スート×数札1〜10×コート4種 という整った構造で読むと、一気に輪郭が出てきます。